エンドーチェーン跡地51店舗制圧計画~岩手編~
こんにちは、IF I AMの洞口です。
主食はログハウスです。
前回のこちらの記事は見て頂けましたでしょうか。
大和町吉岡が生んだ、「エンドーチェーン」という総合スーパー。
最盛期は51もの店舗を展開していたエンドーチェーンの「跡地」を辿ってみる、という企画、今回は岩手編です。
仙台のイメージが非常に強いエンドーチェーンですが、実は岩手には10店舗を展開していました。
前回は51店舗中8店舗を制圧した洞口。まだまだ先は長いです。
ロケ日は10月1日。洞口は岩手に遠征し、制圧してきました。
9 盛岡駅前店
1969年にエンドーチェーンは岩手県に初進出し、盛岡駅前の開運橋のすぐ目の前に開店させました。はちや盛岡駅前ビルです。駅前立地を狙うのは初期エンドーの常套手段であります。(同時期に白石・福島・石巻・古川の駅前にも出店)
当時は仙台駅前店等と同様に、ラジオのサテライトスタジオが置かれ、お昼休みには多くの見物客でにぎわいました。当時の様子はこちら↓
【いわてアーカイブの旅】第95回 ラジオの公開放送 - YouTube
現在はアニメイトになっています。そういえば、旗艦店である仙台駅前店も…
ちなみにこちらは1986年ごろのエンドーチェーンの新聞広告です。存在が確認できるのは47店舗。盛岡中央店は早いうちに閉店してしまったようです。
10 盛岡青山町店
1969年~1973年の間に、岩手県内に6店舗を出店したエンドーチェーン。盛岡市中心部から少し北に行ったところに、盛岡青山町店はありました。東北銀行青山支店の隣です。跡地にはクエストというパチンコ屋が建っています。
1973年に20店舗出店を達成した時点で盛岡市内に5店舗あったことから、盛岡市は非常に重要な拠点だったと言えます。
11 盛岡南青山店
今回の旅の最大の目的は盛岡南青山店を見つけることでした。というのも。
wikipediaに載ってないんですよね。
しかし、新聞広告にはしっかりと「盛岡南青山店」の文字が。(写真右端)
ネットで事前に場所を検索してみましたが、詳細な場所は殆ど掴めず。
ろくすけの手帳:盛岡・青山ノスタルジー②。本拠地→通学路周辺へ。
こちらのブログで、国立病院の近くにあった、という情報を得たため、この近辺で聞き込み調査をしてみました。
すると、ある年配の女性から、「ひらやま商店のお父さんなら、何か知っているかもしれない」という話を聞きました。
ひらやま商店へ。
「ここら辺にエンドーチェーンがあったと聞いたのですが…」
「おお、懐かしい!エンドーの隣でお店をやってたんだよ!」
ジャストミート。詳細な場所を聞くと、今は白いアパートになっている場所のあたりにあったといいます。
ひらやま商店も今はセブンイレブンのあるマンションに移転しています。
この辺りは再開発が進み、多くのお店が無くなったり移転をしているそうです。2006年にIGRいわて銀河鉄道の青山駅が開業し、変化はさらに激しくなったことでしょう。
12 盛岡舘坂店
舘坂橋のある交差点、今は台湾料理店・鴻運になっている場所が、エンドーチェーン盛岡舘坂店跡地です。元の建物は残っていません。
鴻運 盛岡店 (コウウン) - 青山/台湾料理 [食べログ]
13 盛岡仙北町店
盛岡駅から1駅、1.8kmだけ北に行くと、仙北町駅です。ここにもエンドーチェーンがありました。ボウリング場も備えた、比較的大きな店舗だったようです。現在は空き地となっています。
ちなみに仙北町駅は、元総理大臣の原敬の生まれ故郷であるとともに、彼が職権で作らせた駅だと言われています。
1890年のこと。東北本線の盛岡駅予定地は現在の仙北町駅付近だったのですが、地元住民の反対もあり、結果として現在の位置に落ち着きました。当時は鉄道駅を街の中心部に設置することを嫌う傾向があったからです。「汽車が通ると町が汚れる、火の粉で火事が起きる、農作物が枯れる、結果として町が廃れる」そんな言い伝えが広がっていた時代でした。
しかしその後、住民の予想に反し、鉄道駅付近は発達し、駅から遠い町は少しずつ活気を失いました。仙北町の住民は当時鉄道院総裁だった原敬の下に、駅を造るように陳情に行い、盛岡駅から至近の場所に仙北町駅が誕生することになりました。
↓詳しくはこちら
仙北町、良い町でした。
14 盛岡中央店
今年の9月で惜しまれながら56年の歴史に幕を閉じた、盛岡バスセンター。
その向かいに、盛岡市民なら必ず1度は足を運んだことのあるエンドーチェーンがありました。
ウィズビルを解体へ 河南の集客拠点として42年-盛岡タイムス Web Newsより
エンドーチェーン盛岡中央店は、その隣にあった百貨店・中三、そして盛岡の交通拠点であったバスセンターと共に、盛岡の人々が集まる中心地でした。
ビル自体は、古着店ハンジローで知られる光商事(本社・盛岡市)が1969年に建てたもの。
現在は解体され、マンションになりました。バスセンターも今年解体されることが決まっており、中三もななっくになっています。この付近の古い建物も続々と建て替えられていて、少し寂しいですね。
15 盛岡神明町店
バスセンターの斜向かい、盛岡中央店から非常に近い場所にある「飛鳥さんきょうプラザ」というマンションの1,2階、そして地下部分にもエンドーチェーンは出店していました。通称「第2盛岡中央店」。跡地の中では珍しく現存しています。
中を覗くと、エスカレーターがまだ残っているんですね。思ったより保存状態がよくて感動しました。
16 盛岡松園店
1977年に誕生した第29号店です。
エンドーチェーンの出店ラッシュのピークは2度に分かれています。1回目は1969年から1974年にかけてで、この6年で16店舗。この時は「駅前」をよく攻めており、ほとんどのお店が駅近立地でした。
2回目は1980年前後。この時に攻めたのが郊外・ニュータウンでした。
仙台で言えば、太白・西多賀・荒巻・将監など。そして盛岡で言えば、松園ニュータウンです。
バスセンターから出るバスに乗って、往復800円をかけて松園に向かいました。仙台から旅行で来た大学生が松園に向かうか。普通。
ちなみにかつてのエンドーチェーンはこちら。
同じアングルで撮りました。ここにもボウリング場があったらしいです。ボウリングが好きすぎるだろエンドーチェーン。ちなみに仙台駅前店内にあったボウリング場が、東北初のボウリング場であったそうです。
17 花巻店
1980年に出来た、比較的後期のエンドーチェーン跡地です。花巻駅からは少し離れた場所にあります。現在はマンションが建ちました。
良いマンションだなあ。
18 北上店
北上の商店街の入り口にあったエンドーチェーン北上店。現在はセブンイレブンになっています。写真右側の商店街は、かつてアーケードが架けられていました。
今の姿。
かつての姿。下のブログより。
石巻とかもそうですけど、アーケードが撤去されたあとの商店街ってなんかいいですよね。
ということで、18/51を制圧完了です!
そろそろ完全制圧が見えてきましたね!!!
次回、そろそろ仙台中心部を制圧する